陸上短距離の山縣亮太選手が、6月6日に行われた「布勢スプリント」100m決勝にて9″95の日本記録を更新という快挙を成し遂げました!
山縣選手の今回の記録は今までの日本記録でもあるサニブラウン選手の9″97という記録を0″02も上回る結果で日本記録を更新する形になりました。陸上競技の100mは風によってタイムが左右されることが大きい競技ですが、追い風が2.1m/s以上吹いてしまうと追い風参考記録として非公認のタイムとなってしまいます。
そんな中今回行われたレースは追い風2.0m/sという公認ギリギリの最もいい条件でのレースとなり風も山縣選手の見方をしてくれました。そんな山縣選手ですが、現在はアスリートとして立派な体つきですが生まれた当初は体の小さな未熟児で生まれたということが分かっています。
実際の予定日よりも約2か月ほど早く誕生したとのことで標準的な体重よりも小さく、肺の機能が満足ではなかった状態だったとのことです。生まれながらにして肺に問題をかかえていたのにも関わらず、現在は陸上選手として日本の短距離界を引っ張る形で活躍しているなんてなんだか信じられませんね。
また、出生時の体重を調査させていただいたところ、そこまで細かくは公表されていませんでした。ただ2か月生まれるのが早かったという形にはなるので、それなりに体重も少ない状態で生まれてきたのだと推測できます。
山縣亮太選手の経歴や未熟児からアスリートへの道
山縣選手は小学生に上がってからも周りと比べて小さい体格で、弱弱しかったといわれていましたが、小学校4年生あたりから陸上競技の短距離選手として開花したようです。もともと足は速かったのか、学校の代表として100m走の大会に出場し、優勝の経験はしていたようです。
山縣選手は陸上クラブではなかったのですが、他の陸上部の選手よりも先着して優勝したとのことなので、きっと当時は衝撃が走ったのではないかと思います。山縣選手は小学生時代に広島ジュニアオリンピックのコーチにスカウトのような形で、日山コーチという女性のコーチから指導を受けるようになります。
そこから、中学、高校とぐんぐん記録を伸ばして実力を伸ばしていったということです。今思えば小学生時代に学校の代表として大会に出なければ、オリンピック選手になることもなかったかもしれません。
山縣亮太選手が陸上100mで9″95の日本記録更新する前の日本記録保持者でもあるサニブラウン選手であり、サニブラウン選手の記録は9秒97です。山縣選手が9秒台に突入したことで日本人の9秒台記録保持者は4人となったのです。
つまり山縣選手は自身初の9秒台だったとのことで、しかも日本新記録とは実力者ならではの快挙となります。2016年に行われたリオオリンピックにも出場し、過去の2大会で日本選手の100m記録を更新してきている山縣選手ですが、苦しむ場面もとても多かったそうです。
過去には、肉離れから復帰した2013年に日本選手権で優勝、2017年全日本実業団で日本記録更新前の自己ベストでもある10″00をマークしました。そのあと、2019年には気胸や靭帯の断裂など陸上選手にとっては致命的ともいえる怪我の最中にいました。
しかし、逆境を越える力も素晴らしく、新型コロナウイルスの影響で2020年のオリンピック延期も山縣選手にとっては「準備期間が長くなる」とポジティブにとらえることができ、地道に特訓を続けていました。
山縣亮太選手はコーチを付けないアスリート
通常であればトップアスリートはそれぞれコーチをつけて指示に従いながら二人三脚で上を目指していくスタイルが一般的ですが、山縣選手は自分自身のやり方で練習メニューを考え、コーチを付けないことで有名です。自分で練習動画を確認して、フォームにブレがないかや無駄な動きがないかなど色々試してみるというかなり独自路線な選手です。
しかし、人任せにすることはなく、自分の体を自分自身が最も理解するという姿勢が、今回の日本記録更新に繋がったのかもしれません。
こちらの記事を作成した感想
山縣選手は高校生時代からライバルの存在があってこその選手で、高校3年間インターハイでの優勝もしたことなければ同級生にも先着されていた選手です。
そんな山縣選手が開花し始めたのが高校3年生の中国5県大会にて当年の高校生最高記録でもある10秒30の記録をたたき出しました。その年の千葉国体でも10秒3台の記録をマークしインターハイで先着された同級生にも大きく差をつけて優勝を飾りました。
また2012年には4月に行われた織田記念で10秒08の大幅自己ベスト更新で一躍有名選手になりました。
一方翌年2013年には今も日本のトップとして山縣選手と競っている桐生祥秀選手が当時高校3年生ながら10秒01と言うとてつもない記録を叩き出し世間をざわつかせました。
そんな回りの活躍の中山縣選手は怪我などが積み重なりなかなか思うような記録が出ない中ではありましたが今回の日本記録更新は非常に素晴らしいなと感じました。
今後もライバル選手と切磋琢磨しながら9秒9台とは言わず8台ともっと上を目指していってほしいと思います。