2006年にデビューし、翌年第58回NHK紅白歌合戦にも出場したシンガーソングライター、中村 中(なかむら・あたる)は、男子の姿で生まれ育ち、現在は女性として生きているトランスジェンダー。
デビュー年にリリースしたセカンドシングル『友達の詩』の発売時に、トランスジェンダーであることを公表しています。
まだ「トランスジェンダー」という呼び方が認知されておらず、周りからは「性同一性障害」と言われていた頃の発表でした。
今でもまだ一般的とは言えない中、もっと理解がなかった時代を生きてきた中村さんは、「LGBT」「多様性」という言葉だけが盛り上がりを見せている現状に「違和感を覚えている」語ってくれました。
嵐のように過ぎ去っていった14年前の出来事を、今あらためて振り返ります。
※本稿は現代ビジネスに載せられた梅津有希子氏による文章を編集・抜粋しています。
紅白歌合戦の頃が、人生で最悪の時期だったと言います。
ドラマの挿入歌として中村自身が出演し、歌うなどし、話題を集めヒットした『友達の詩』。
この曲は中村が15歳のときに初めて制作した曲で、実際に感じた恋をすることへの諦めを歌っている切ないラブソングです。
当時、性的マイノリティとされるトランスジェンダーをカミングアウトする芸能人が珍しいこともあって、メディアから注目を集めた中村のもとには、『SONGS』(NHK)や『僕らの音楽』(フジテレビ)、『中居正広の金曜日のスマたちへ』(TBS。現在は『中居正広の金曜日のスマイルたちへ』に改名)など、音楽番組やバラエティ番組などの出演依頼が相次ぎました。
そして、年末にはデビュー2年目でつかんだ紅白出場。
さぞうれしかったに違いない、と思いきや、そうではなかったという。
中村さん:
「自分のセクシュアリティを公表した後って、当然のようにセクシュアリティに関して聞かれるわけですよ。作った歌の背景を話すのは全然構わないんですけど、登場から人の容姿を評価するような発言とか『私の友達にもあなたみたいな人いるから大丈夫』と言われることもあって。何が大丈夫なのかわからないですし、大丈夫ではない前提があるんだなと感じました。バラエティ番組では『私、ニューハーフみたいって言われるんですよー』とか、直接『男女』みたいなことで笑いをとられることもあって。
セクシュアリティを公表すると、なぜか『なんでも言っていい』になっていったんですよね。人が傷つくかどうかとか、何の疑問もなくデリカシーのない質問やコメントをされる。そこが“うまみ”と思われているんだな、と。でも、自分で公表したことだし、いちいち傷ついてる自分の方がおかしいのかな?って。自分が甘いんだって思い込んでいて、地獄のような日々でした。
歌える機会があるのはうれしかったけれど、今思えば自分が間違って消費されていたんだなって。当時はそれに気づけませんでした。紅白が決まったと聞いたときは、そういったことに疲れ切って心が死んでいたので、正直何も感じられない状態でした」
幼い頃から「家族とはうまくコミュニケーションがとれていなかった」という中村さんは、紅白出場が決まったことをしばらく親に伝えていませんでした。
中村さん:
「当時のマネージャーから、『親に連絡した? 』と聞かれて、『いえ、していないです』と答えたら、『なんでしないの? 』と。
私にとっては真剣に考えたら気が狂いそうな状況だったので、前向きに考えられなくて報告出来なかったんですね。そもそも親への報告くらい好きなタイミングでさせてくれって話ですよね(笑)。
感動的な話の展開を期待するような雰囲気でしたから、そういうのもうんざりだったので、ますます報告しにくくなっていました。実際に親に『紅白出ることになった』と伝えると、『ああ、そうなんだ。がんばって』みたいな反応でした。仕事で辛い思いをしていることは知っていたので、我慢時だということを感じてくれていたのでしょう。多くは語らずといった感じでした。
マネージャーに報告したことを伝えると、『喜んでたでしょう! 』といわれ、『いや、普通でした』というと、『え、なんで喜ばないの? 』と驚かれて。『紅白に出場することが決まったのに、喜ばないだと……!?』という雰囲気でしたね」
2006年12月31日の紅白のステージでは、歌う前に性同一性障害であることを紹介されていました。
中村さん:
「紅白歌合戦では、“紅組”で出場することになったんですけど、用意された衣装は赤いドレスにちょっとだけ白が入っているデザインで、正直、気持ち悪いなあって思っていました。どうして衣装で説明しなくてはいけないんだろう。
あの微量な『白』は、お前は男性だ、という意味だったのでしょうか。紅白の前にいくつかの番組で自分のセクシュアリティについて話していたこともあり、男児として生まれた人間が紅組で出るということがセンセーショナルだ、そういう注目のされ方を煽ったのだと思います」
性同一性障害であることの説明VTRが流れた後、スタッフが事前に書いてもらっていた「母親からの手紙」を、司会の中居正広氏が読み上げるという演出も大きな話題となったようです。
中村さん:
「手紙は、『あなたの思うように産んであげられなくて申し訳ない。あなたの生きたいように生きられない柵(しがらみ)の中にずっといさせてしまって申し訳ない』というような内容でした。
あとで聞いた話で、当時のマネージャーが母に連絡して手紙を書かせたらしいのですが、人の気持ちを想像出来ない人という印象だったので、そんな人がどんな言葉で母に手紙を書かせたのか、今考えるだけでもゾッとします。もう何から何まで失礼というか……」
手紙を読み終えた後、中居氏から感想を聞かれ、当時のスタッフへの憤りや世の中へ不信感も込めて、中村は淡々とこう応えたとのこと。
「バカだなと思いました。そんな風に思うものじゃないって。あなたのせいでこうなったわけじゃない」と……。
NHKとしては、母からの感動的な手紙を読み上げ、お涙頂戴の演出のつもりだったのだと察します。
ですが、中村さんは涙ひとつ流さず、大舞台で堂々と歌いきりました。
中村さん:「歌っている間は自分だけの世界で誰も入ってこられないし、わずらわしいことは何もないので。VTRにしても手紙にしても、過剰にドラマチックにされて、もてあそばれているというか。きっとチューイングガムのようにクチャクチャ噛まれて、味がなくなったら捨てられるんだろうなって。そんなことを感じながら歌っていましたね」
「LGBT」「LGBTQ」(LGBTQIAと称することも)ということばを日常的に耳にするようになり、ヒット商品を作るうえでも「ジェンダーレス」がキーワードになっている近年、日本の芸能界でもLGBTをカミングアウトする人が少しずつ増え、性の多様性が認知されつつあります。
政府も性の多様性に関する「LGBT理解増進法案」を進める動きも出てきましたが、結局は推進を進める自民党の特命委員会の中にも差別的な発言が続出し、5月20日法案了承を先送りとなりました。
そもそもこの法案の趣旨自体、きちんと理解されていない象徴でもあるという声も多く、LGBTをカミングアウトする人が増えたといっても、これが日本の現状。
日本の“多様性”は、いつやってくるのでしょうか。