ボッチャ個人(脳性まひBC2)決勝が1日行われ、杉村英孝(39=伊豆介護センター)は、16年リオ王者で大会連覇を狙ったワッチャラポン・ウォンサ(タイ)を5─0で下し、金メダルを獲得しました。ボッチャ個人種目では日本勢では初のメダル獲得となりました。
とりわけ脳性麻痺などにより運動障害がある競技者向けに考案された障害者スポーツです。
赤または青の皮製ボールを投げ、白い的球〔まとだま→ジャックボール(目標球)〕にどれだけ近づけられるかを競う競技で、パラリンピックの公式種目となっており、全世界で40カ国以上に普及しています。競技は個人、ペアないしは3人1組のチームで行い、男女の区別はありません。
ボッチャについては、そのルールが氷上で行われるカーリングと似ているところから「地上のカーリング」、または「床の上のカーリング」とも呼称されています。
杉村は第1エンドを2─0としてリードを奪うと、第2エンドも劣勢を第5投で相手の球を押してジャックボール(目標球)に自分の球を近づけるショットで1点を重ねます。第3エンドもさらにリードを広げる1点を追加。最終エンドも大量得点が必要な相手に、冷静な試合運びで、ほぼミスもなく、1点を追加する完勝でした。
8月31日の準決勝では12年ロンドン大会覇者のマシエル・サントス(ブラジル)に3―2で競り勝ち、決勝に進んだ杉村。16年リオ大会では主将としてチーム(団体戦)の銀メダルに貢献しましたが、個人では8強止まり。「過去の自分に勝つ」という目標を胸に臨んだ東京大会で、「胸を借りるつもりで、チャレンジャーな気持ちで戦いたい」と話した前回大会王者をもねじ伏せました。
杉村は先天性の脳性まひ。静岡市内の特別支援学校の高等部3年時にボッチャと出会ったそう。12年ロンドン大会に出場してから3大会連続出場。1年間の延期で練習も苦労してきましたが、沼津市内に、大会で使用する床素材を敷き、球を投げ続けてきたとのこと。「リオ以上の結果を残して知名度を上げないと」と話すなど、競技を背負う第一人者としての強い思いがあるようです。そして、開会式では代表を外れた内田峻介(大体大)が聖火台へ点火を行った姿をテレビで見ました。「これまで戦ってきた仲間の思いも背負って戦う」。仲間を思い、ボッチャを思い、東京の地で頂点に立ったのです。
◇杉村 英孝(すぎむら・ひでたか)1982年(昭57)3月1日、静岡県伊東市出身の39歳。先天性の脳性まひで、静岡市内の特別支援学校に通い、高等部3年の01年に先生の勧めでボッチャを始めます。
夢はクラスや障がいの有無などを問わない「ボッチャ無差別級大会」の開催すること。