※本稿は、東洋経済オンラインの齋藤 孝 明治大学教授 による寄稿を一部編集・抜粋しています。
本を読んでも、なかなか頭に入らない……。残念ながら、そこで読書をストップしてしまう人が少なくありません。あるいは、けっこう本を読んでいるつもりなのに、なかなか体系的に知識が積み重ねられないという人もいるようです。
「多くの場合、正しい順番で本を読んでいないことが原因です」と話すのは、明治大学教授の齋藤孝氏。順番通り読めば、読解力も理解力も増すと言います。いったいどういうことでしょう? 齋藤氏が『本には読む順番がある』をもとに解説します。
ちょっと前ですが、近くの古本屋でマルクスの『資本論』全巻セットがたった500円で売っていました。かつては一世を風靡したマルクスの『資本論』があまりにも不憫に思えて、思わず買ってしまいました。
たしかに世界を大きく変えた本に違いない。ですが、とても難解です。いきなりマルクスの『資本論』を読んでも、まず理解できる人はほとんどいないでしょう。「剰余価値」とか「価値」と「労働価値」の違いだとか、「労働力の商品化」なんて言葉が出てくると、もう何が何だかわからない。
「何を理屈っぽく、こねくり回しているの?」とイライラが増して、第1章を読み終わらないうちに投げ出してしまうでしょう。
でも、これが資本論の入門書や、新書などの解説本を数冊読んだ後に読むと、「剰余価値」って、賃金以上に労働者が働かされている分なんだとか、「労働力の商品化」って、要は経営者が従業員の労働力をお金で買っていることなんだと理解できるわけです。そして資本論がどんな内容であるか、何を目指して書かれているか、大きな方向性、ベクトルがわかる。
いきなり暗闇に立たせられたら、誰でもどちらに向かって進んでいけばいいか迷います。おおよその出口だけでもいい、最初に示してもらえたら、とりあえずは進むことができます。
とくに難解な本は暗闇と同じです。いきなり飛び込んでもポイントがわからず、読み進め方もわかりません。まずは入門書などで用語の意味や本の主旨、大まかな構成などを知っておく。一筋の明かりがあれば、それを目指して進んでいけるのです。
筋トレにたとえたらわかりやすいでしょうか。いきなりベンチプレスで100kgに挑戦する人はまずいないでしょう。30kg、40kgと体を慣らし、筋力をつけていきながら、次第に増やしていきます。
本の場合は、難易度が数値化されているわけではありません。「これは50kg相当の負荷がかかるとしたら、こちらは100kgかかりますよ」「ヘーゲルの『精神現象学』は250㎏もあるので、いきなりやると骨が折れてしまいます」といった基準があればいいのですが……。
例えば、「数学」に関する本はたくさん出ています。現代社会はネットやSNSでいろいろな意見や情報が溢れていますから、見極めるための論理性は必要でしょう。
普段から論理的にものを考えるクセをつけていないと、おかしなものに騙されたり、荒唐無稽な理論にハマってしまう危険もあります。その意味でも「数学的思考」は、今の世の中で大変重要な思考と言えます。
とはいえ、数学の領域は高度なものになると、まったくついていけないということもあるでしょう。段階を踏んで、簡単で入り込みやすい本から、次第にレベルをアップしていくことが必要です。では具体的に、どういう順番で読むと理解しやすいのか。順を追ってみていきましょう。
数学の入門書として代表的なのは、数学者の秋山仁さんの諸作です。『秋山仁のまだまだこんなところにも数学が』(扶桑社文庫)など、たくさんの読みやすいうえに内容が深い著作があります。
また、いまベストセラーになっている『東大の先生! 文系の私に超わかりやすく数学を教えてください!』(西成活裕/著 かんき出版)は、数学が苦手な人にも大変人気です。
多少数学的知識がついたら、次は『いかにして問題をとくか』(G・ポリア/著 丸善)に進みます。問題解決の手法を、数学的に解説した古典的な名著です。ポリアはハンガリー出身のアメリカの数学者で、同著の日本語訳が出たのが1954年ですから、もう60年以上も前になります。しかし、その内容は時代を経ても色あせることのない普遍的なものになっています。
問題を解くためには、まず問題の意味を正確に把握することが肝要です。そもそものところで間違ってしまっては、問題解決は望めません。問題を正しく理解するためには、論理的な思考が不可欠となります。
そのうえでどのような解法によって、どう説いていくか。その手順を頭の中でアウトラインを描きながら、実際にそれに添って解いてみます。その結果うまくいかなかったら、どこに問題があるのかをもう一度検証して、修正して再度解決を試みます。
この考え方は、ビジネスの現場でもよく使われる「PDCA」のサイクルとそのまま重なります。数学の解法という視点を通しながら、あらゆる問題解決の方法、その真髄を身につけるユニークな本です。
さらに、『フェルマーの最終定理』(サイモン・シン/著 新潮文庫)に進みます。フェルマーの最終定理とは、3以上の自然数nについて、Xn+Yn=Znとなる自然数の解は存在しないという定理のこと。フランスの数学者ピエール・ド・フェルマーが、自分が読んでいたギリシャ時代の数学書の余白に書いていた注釈が、死後出版されて有名になったものです。
フェルマーは「この定理に関して、私は驚くべき証明を見つけたが、この余白はそれを書くには狭すぎる」と書き残したままで、その内容については謎とされてきました。
以来、360年もの間、さまざまな数学者がこの難問に取り組み、その過程でまたいろいろな理論や予想が生まれ、数学界を盛り上げ続けてきたのです。そしてついに1995年、イギリスの数学者アンドリュー・ワイルズが証明を完成させます。
ワイルズ自身、数学者になったきっかけが子どもの頃に知ったフェルマーの最終定理だそうです。著者のサイモン・シンはそんなワイルズの話だけでなく、ギリシャのピタゴラスの話から始まり、フェルマー、レオンハルト・オイラーなど、最終定理と向き合う数学者たちの、さまざまな人間ドラマとして描き出します。
まさに知性の極北の戦いを描く壮大なストーリー。これだけの題材と数学者を扱いながら、難しい数式はほとんど出てきません。数学初心者でも抵抗なく楽しめる、素晴らしい作品になっています。一読すれば必ずや引き込まれ、数学に対する見方が大きく変わることでしょう。
一方、小説を読む場合もやはり「順番」があります。例えば、ドストエフスキーに興味を持ったからといって、彼の最高傑作である『カラマーゾフの兄弟』にいきなり挑戦するのは無謀というものです。
「話が長いうえに、ストーリーが難解で自分にはムリだ」と途中で挫折してしまい、ドストエフスキーは自分には向いていないと思ってしまいかねません。それは大変残念なことですから、同じドストエフスキーでも、もっとわかりやすく短い小説から入ります。作者の文体に馴染み、そのうえで最終的には大長編に挑戦すればいいのです。
その流れでいえば、太宰治は大変文章が平易でわかりやすいのが特徴です。誰でもいつでも、どの作品からでも入り込める本だと言えるでしょう。それでも時代の変遷にともなって、太宰の作風は変化しています。とくに初期と晩年の作品は、厭世的で破滅願望が強い。代表作『人間失格』がまさにそう。それが太宰のすべてだと思ってしまうと、大変もったいない気がします。
ですから、まずは『富嶽百景』や『黄金風景』あたりから読むのをお勧めします。これらは太宰中期の作品であり、太宰のヒューマニズムに溢れた、明るく若々しく、気品に満ちた作風が特徴です。
『富嶽百景』を例にとると、錯誤と苦悩に満ちた20代の自分と区切りをつけるため、太宰は御坂峠に滞在し自分を見つめ直しながら、結婚と再生への気持ちを固めます。
最初は絵に描いたような富士山の景色が気に入らなかったのですが、宿屋の女将さんと娘さん、来客や訪問者、そして見合いの相手など、さまざまな人々との交流を続けるなかで刻々変わる富士の姿が美しく、頼もしく見えてきます。
麓に降りるときのバスの中で、乗客が富士山の姿に見惚れているとき、1人反対側の崖に咲いている月見草に魅かれる老婆。小説が進んでいないとハッパを掛ける、けなげな宿屋の娘。結婚を決めて麓から峠に戻る際、思わずトンチンカンな質問をする婚約者の女性……。
『富嶽百景』では登場人物が生き生きと描かれ、読者はまるで本当に自分がその人に会ったかのような錯覚に陥ります。そして誰もが可憐で素朴で、美しい。
このあたりの作品には、暗く重苦しい太宰の姿はありません。厭世的な一面が嘘のような人間賛歌と光に満ちています。まずは太宰のそんな一面から入っていただければ、その他の作品も、より深く読み込むことができると思います。