世界文化遺産登録から7年を迎えた富岡製糸場。
社会の教科書では誰もが必ず目にしたことのある歴史的建造物です。
そんな富岡製糸場の入場者数が激減し、赤字状態になっているというのです。
今後の存続は大丈夫なのでしょうか。
歴史とともに見ていきます。
富岡製糸場は群馬県富岡市に1872年(明治5年)に開設されました。
日本で最初の官営模範工場として明治政府によって後押しを受けながら、開業へと至りました。
江戸時代末期の開国後、生糸・養蚕・茶の輸出が急激に伸び、富岡製糸場はその中でも生糸を扱うことが決められました。
外国では疫病や国内紛争によって生産力がかなり落ち込んでいたため、日本の輸出品の多くが上記のように変化していきました。
明治24年に官営時代が終わると三井家の経営へ代わり、経営が安定していきます。
その後原合名会社時代では過去最高の生産量となり、富岡製糸工場のピークを迎えていきます。
昭和初期には片倉氏が経営の実権を握り、原時代を超える過去最高生産高をあげます。
しかしながら、衣服の文化の変化や世界的に生糸の価格が変化していき、昭和62年に閉業を迎えました。
閉業後も片倉工業は富岡製糸場の維持に努め、戦争中でも綺麗に保存されたままであったことから世界遺産への登録に向けて動きがありました。
富岡市の努力もあり、2013年6月に世界遺産に登録されます。
現在では工場見学だけではなく、周辺地域での観光や宿泊も楽しむことが出来るなど、様々な取り組みがなされています。
しかし、今回富岡製糸場の来場者数が激減し、赤字状態まで至ったというのです。
一体どんな経緯があるのでしょうか。
富岡製糸場の入場者数のピークは2014年度の133万人です。
100万人以上の人が訪れているというのだからすごいですよね。
しかしながら、現在は新型コロナ感染拡大の影響やブームが去ってしまったことで、入場者数の減少に至ったようです。
入場者数の回復のためにはまずは新型コロナ感染拡大が落ち着くことが第一です。
そして観光や旅行で来てもらうことが重要であります。
これは富岡市長も語っていますので、私達は新型コロナ感染拡大に向けて意識した生活を過ごし、状況がよくなった際には観光旅行に行って世界遺産の存続に貢献しましょう。
誰もが一度は名前を聞いたことはある富岡製糸場の現状を知ることが出来ました。
厳しい状況ではありますが、皆さんで支え合っていきましょう。