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仏教に学ぶ「自分さえ自分の頼りにならない」真理とは

仏教に学ぶ「自分さえ自分の頼りにならない」真理とは

親、兄弟、子ども、財産……誰にでも頼りにしているものがあるはずです。

しかし、お釈迦さまは「消えるもの、移ろいゆくものを心の拠り所としてはいけない」と説かれました。

実際、地震や家事、パンデミックなどで大切なものを一瞬で失うことはありえます。

では、私たちはどのような精神で生きていけばいいのでしょうか? 

紀元前から続く仏教の教えには、お釈迦さまが、心の問題で悩んでいる人々を救ったエピソードが多く残されています。

今回はその中から、一晩ですべてをなくした女性がどのように真理に気づき、立ち直ったかを見ていきます。

本稿は、13歳で出家得度したスリランカ上座仏教長老、アルボムッレ・スマナサーラさんの著『心は病気』(東洋経済オンラインによる寄稿)より一部抜粋、再構成してお届けします。

箱入り娘、男と駆け落ちするも…

のちに悟りをひらいた、パターチャーラー長老尼の物語を紹介しましょう。

この人は箱入り娘でした。家はたいへんなお金持ちでしたから、現代の日本みたいに、子どもには苦労させずに育てたのです。贅沢させてわがままもぜんぶ聞いてあげて、欲しいものはなんでもあげる。そういう暮らしでした。

そのうち年頃になった娘は、大勢いた召使いの中でも、奴隷として働いていた格の低い若い男に、一瞬で恋をしてしまいました。でも相手にとっては、しゃべったら殺されるかもしれないくらい、格の差があるのです。ですから、なかなか話はできませんでした。

でも、その娘はわがままで何もわかりませんから、「なんでそんなに怖がるの? 私のこと嫌い?」と聞くのです。男は「あなたはすごくかわいいけど、私には私の立場がありますから」と答えました。

すると、今度は「お母さんやお父さんがうるさいなら、2人でどこかに駆け落ちすればいい」と平気で言います。駆け落ちなどしたら、それからは2人だけの力で生活しなくてはいけないのですが、この娘は贅沢に育てられすぎて、人生をまるっきりわかっていないのです。

娘はその後も、男をしつこく駆け落ちに誘いました。そしてある夜、とうとう男を引っ張って逃げたのです。

男は奴隷ですから、捕まったら殺されます。ですから、いったん家を出てしまったら、村にも町にも、国にいることさえもできません。そこでほかの国に逃げて、激しい労働でやっと暮らせるような、ずいぶん貧しい生活をしたのです。

しばらくして、娘は妊娠しました。妊娠すると、心配で不安でお母さんのことが恋しくなり、「子どももそろそろ生まれるから、家に帰りましょう」と言い出しました。

男はもちろん帰れませんから、「だめだめ、家に帰ったら殺されます。私は行きません。ここで産みなさい」と言いました。すると彼女は、1人で家に帰ろうとして家出をしてしまったのです。やさしい男は、彼女を守らなくてはいけないと思い、追いかけます。

途中の森の中で、彼女は、贅沢な娘には似合わず誰の手伝いもない状態で、どうにか子どもを産みました。子どもを産んだら、もう家に帰っても意味がありません。それで男のところに戻ることにしました。

夫が死に、子ども、赤ん坊、家族、全て死んでしまった

その後、娘はまた妊娠しました。出産が近づいたころ、娘は、前と同じようにお母さんのところへ行こうとして逃げてしまいました。男は「1人で行ったら危ないし、かわいそうだ」と、また探しに行きました。森の真ん中で娘を見つけたときには、もうすっかり夜でした。

そこに猛烈な雨が降ってきたのです。さらに、彼女に陣痛が始まりました。男は「たいへんだ。なんとか雨に濡れないように屋根をつくってあげよう」と言って、葉っぱか何かを取りに行きました。そしてその途中で、なんと蛇に咬(か)まれて死んでしまったのです。

彼女は男を待っていましたが、ぜんぜん戻ってこない。それで仕方なく、土砂降りの雨の中、血まみれで寒さに震えながら子どもを産みました。

娘は、真っ暗で危険な森の中で、なんとか両手、両足で動物みたいに子ども2人を守って、「あいつは逃げたかもしれない」と男の悪口を言いながら、朝まで寝ずに待っていたのです。

ところが朝起きてみたら、そこで旦那が死んでいたのです。激しいショックを受けましたが、ここにはもう頼れる人はいません。娘はこのまま家に帰ろうと思いました。

帰るためには川を渡る必要がありましたが、ゆうべの雨のせいでまるで洪水です。そこで娘が考えたのは、2人を別々に運ぶことでした。上の子に「あなたはここで待っていなさい」と言って、まず自分が赤ちゃんを抱っこして川を渡ります。それで対岸の葉っぱの上に生まれたばかりの子どもを置いて、上の子を迎えに戻るという計画でした。

ところが、下の子を対岸に置いて川の真ん中あたりまで戻ったところで、娘は大きな鷲が赤ちゃんを狙っていることに気づきました。鳥より速く戻るのは絶対に無理ですから、彼女は大きな声を出して手をたたいて、鳥をおびき寄せようとしました。

ところが、その叫び声を聞いた上の小さな男の子が「あっ、お母さんが呼んでる」と勘違いして水に入り、あっという間に流されてしまったのです。そして後ろを振り返れば、鳥が下の子どもを捕まえて持っていってしまっています。

こうして、彼女の家族は1日でみんな死んでしまったのです。彼女は錯乱状態になりました。

彼女は本能の赴くままに、昔住んでいた家のほうに向かいました。でも、「あの家はどこにありますか、そこまでの道は?」と人々に聞いても、どういうわけか、誰もぜんぜん教えてくれません。

しつこく聞いてやっと教えてもらえたのは、昨日の雨で自分の家に雷が落ちて、父母も兄弟もみんないっぺんに死んだという事実でした。いままさに、火葬場でみんな一緒に燃やしているところだというのです。

彼女はその瞬間に狂ってしまいました。本当にぜんぶなくなってしまったのです。行くところも戻るところもなくなった娘は、泣きながらあっちこっちへ走りました。着ている服もぜんぶ脱げてしまいましたが、それもわからないくらいの状態でした。それを見た子どもたちにも石を投げられ、とても悲惨な状態でした。

そんな彼女を見た仏教の信者さんたちが、「ここを曲がってこっちへ行ったら、行くべきところがありますよ」と、お釈迦さまのところへ行く道を教えました。彼女は裸のままお釈迦さまのお寺に入っていきました。

彼女を見た人々は「入るな。この女は病気だ。頭がおかしくなっているんだから入るな」と口々に非難しましたが、騒ぎを聞いたお釈迦さまは、なんのことなく「いいえ、彼女を通してください」と言いました。

そして、日本風に言うならば、「ああ、お帰りなさい」と言ったのです。

この言葉で、彼女は正気に戻りました。自分が裸でいることにもようやく気づいて、人に服を貸してもらいました。それで説法を聞いて出家して、時間はかかりましたが悟りました。

何かを頼って生きる危険を知る

彼女の問題は、自分で独立することがまるっきりできないことです。家にいるときはずっと親に頼って、駆け落ちしたら相手の男の人に頼って。とにかく人に頼ろう、頼ろうとしているのです。

それで結局どうなったかというと、頼っていたものがぜんぶ消えてしまったときに狂ってしまった。彼女に必要なのは「誰にも頼らない。私は私で生きる」という強い精神力だったのですが、それは最初から、どの大人もまるっきり教えてくれなかったのです。

お釈迦さまは彼女を見て、それを一瞬に理解したのです。それで何を言ったかというと「お帰りなさい」です。普通は自分の家に帰ったときに言われる言葉ですね。ですから、そのひとことで彼女の心には「ああ、やっと家に戻れた、もう安心だ」という実感が生まれました。

問題の解決にはならないのですが、彼女がそのとき何より必要としていたのは、頼るところだったのですから、まずはそれしか方法がなかったのです。

そのあとは、親のところに相談に来たようなつもりで、お釈迦さまからいろいろな説法を聞いたそうです。そして最後に、お釈迦さまは「この世の中で何も頼るものはない。誰も頼りにならないんだよ。両親も、兄弟も、旦那も、子どもも、財産も、あなたの健康も何1つも、あなたの頼りにはならないんだから、ぜんぶ捨てなさい」と言ったのです。

「自分さえ自分の頼りにならない」というのはとても高度な真理なのですが、彼女の場合はすでに身をもって十分に知っていました。ですから「ああ、そうか。私はもう何にも頼らない心をつくらなくてはいけないんだ」とすぐに思うことができました。

あるとき彼女が自分の部屋で瞑想していると、油がなくなって、明かりが消えてしまったのだそうです。消える前にパッパッと2、3回大きい炎が出ました。その瞬間に彼女は悟りを開いたそうです。

「自分の心」さえ頼りにはならない

自分さえ自分の頼りにはならないということは、大切なポイントです。このことは、精神的に弱い人のほうが、実感しやすいかもしれませんね。

私たちは、私たちの心さえ信じることはできないのです。もしも自分の心を信じることができれば、何があっても問題ないはずです。

でも人間は、たとえばちょっとでも予想しなかった出来事にあったら、ショックを受けてすぐに自信をなくしてしまいますね。それで家を出ることもできなくなって、閉じこもっている人々もいます。

心というのは、ちょっとでもショックを受けたとたんに、頼りにならなくなってしまうものです。

いくら「しっかりしなさいよ」と、自分に言い聞かせても無駄です。本人の心さえ、本人を助けることはできないのです。ちょっと何かあって心に傷がついたら、人生はもう終わりなのです。

身体に少し傷がついたくらいなら、ばんそうこうでも貼っておけば治りますね。でも、心にちょっとでも傷がついたら、全然治りません。そんなに頼りないものなのですから、最初から頼らないほうがいいのです。

では、どういう精神でいればいいかというと、「いずれはぜんぶ消えるんだから、それでまあいいんじゃないか」と思うことです。

「何にも頼る必要はない」というのが答えです。

自然災害も、人の死も自然の法則であり、止めることはできません。

自然の法則を認めない、好ましくない変化は認めたくないという心が、間違っているのです。