※本稿は東洋経済オンラインによる齋藤 孝氏(明治大学教授) の寄稿を一部編集・抜粋しています。
人生100年時代。人生の「1周目」が50歳くらいまですると、「2周目」がそこから始まります。通常、会社は60歳で定年となるのが現状ですが、それを迎える前に多くの会社員が役職を解かれたり、収入が下がるのはよくあること。仕事の目的とやる気を失った結果、人生そのものに消極的になる人は少なくありません。
では、どうすれば「2周目の人生」を前向きに過ごせるのか?明治大学教授の齋藤孝氏が解説します。
医学の発達や生活環境の向上で人生100年時代と言われるまでに寿命が延びたのに、残りの50年、人生の2周目になんの希望も持てないとしたらそれはもったいない。
苦役のような時間になってしまいます。
ところが程度の差こそあれ、苦役に近い2周目に入ってしまっている人が少なくありません。
最近、とくに問題となっているのが「初老期うつ病」と呼ばれるものです。
人生に新鮮味を感じられず、何を見ても心が動かない。
このまま歳を取っていくのかという虚しさのようなものが込み上げてくる。
次第に気力を失い、活動力が落ちてしまう。
50歳を過ぎた頃から現れるようになるこのような抑うつ状態を「初老期うつ病」というのだそうです。
実は、私自身もそれらしきものになりかけたことがあります。
50歳を過ぎた頃、何かをするたびに「ふうっ」とため息が出たのです。
一通りこの世の中のことはわかってしまっている。
仕事の段取りもある程度身に付いているし、うまくいったこともいかなかったことも、ほぼ想定内。
肉体的な衰えも当然加わっていたのでしょう。
なんだかやたらと身体が重く、ため息ばかりついている自分に気づいたのです。
仕事でもなんでも一通りのコツと勘がつかめて、50歳を過ぎていろんなものが一段落して、フッと肩の力が抜けたときでもある。そういう状態のときに心に「うつの雑草」が生えるのです。
雑草というのは、放っておくとあっという間に伸びて生い茂ります。自宅に庭がある人ならよくわかると思いますが、少し気を抜くと本当にびっくりするくらい伸びている。
私は大学生の頃、静岡から東京へ出てきて1階のアパートを借りました。小さい庭が付いていたのですが、そのうち何か植えようかと思って放っておいた。すると夏になって私の胸の辺りまで成長して、ほとんど部屋の前が遮られてしまったのです。遊びに来た友人がびっくりして、一緒になってその雑草を必死で抜いたのを覚えています。雑草というのはあっという間にいっぱいに生い茂るものだと痛感しました。
ほかのものが一切生えなくなるくらい強く、はびこるのです。
ここで「うつの雑草」と言っているのは、うつな気分のことです。
本格的なうつ病には、もちろん医師による診断・治療が必要です。
実は「うつ」という気分も、放っておくと雑草のように心にはびこるものだと思います。雑草はとにかく早めに抜くこと。地面から少し顔を出したら、小さなうちに摘み取ってしまわないと大変なことになります。
庭の手入れをしている人はそれをよく知っています。「心の雑草」「うつの雑草」もまさに同じです。ちょっとやる気がしない、気分が乗らない。身体が重くて動くのがしんどい。何に対しても興味が昔のように湧かず、ウキウキしない……。
それは最初は大したことのないちょっとした心のほころびかもしれません。でも放っておくと雑草と同じく、あっという間に伸びて心の庭を埋め尽くします。そしてもはや何もそこに植えることができない雑草だけの空間になってしまう。取り返しがつかない重いうつ状態に陥ってしまうのです。
ちなみにうつ病の「鬱」という字は、何か密集して詰まっている状態を表すそうです。「うっそう」とした森の「鬱」ならいいのですが、憂いが密集した「憂鬱」の場合は困ったことになります。
そうならないように、私たちは意識して「うつの雑草」の芽に早いうちに気づき、摘み取らなければいけません。
人生の2周目を前にして、新たな目標や生きがいの種を植える前に、「うつの雑草」で覆われてしまい、どうすることもできなくなってからでは遅いのです。
冗談半分で私がよく言うのは「心の雑草」「うつの雑草」が、どの程度はびこっているかがわかるアプリがあればいいと。
「この1年で何か新しいことを始めましたか?」
「昨日、面白かったことは何ですか?」
「いま熱中している趣味や遊びはありますか?」
など、質問項目に答えることで、その人の心の庭にどの程度の雑草が生えているかを、映像としてわかるようにするアプリです。
重いうつ状態の人は心の庭が雑草で覆われて、花も木も一切育っていない光景が映し出されます。
一方、健康的な精神状態の人の庭はきちんと整理され、花が美しく咲き、形のよい庭木がたたずんでいます。
あるいは「あなたは今は健康ですが、心の雑草が生えかかっているので注意しましょう」というような警告もある。
心の状態が「庭」という形で可視化されるので、自分が今どのような状態であるのかが一目でわかるというアプリです。便利だと思いませんか?
スポーツをやっている人、身体を動かしている人はうつ状態になりにくい。例えば若いときにやっていたスポーツを今も続けているという人。中学高校時代に部活でやっていたスポーツを今も何らかの形でやっている人は、うつ状態になりにくいと思います。
スポーツは身体を動かすという意味もありますが、勝負の世界で気持ちをピンと張ることがよい効果をもたらします。緊張感によって心の雑草がきれいに取り除かれるのです。脳の機能的な働きで言うなら、筋肉を使い、筋力をアップすることで男性ホルモンであるテストステロンが分泌されます。
試合に勝利することで、アドレナリンなど脳内ホルモンが分泌されます。スポーツをすることが脳への刺激になる。
うつ状態というのは脳の働きの一部が通常より低下し緩慢になることです。スポーツによって脳に刺激を加えることで、機能低下を防ぐことにつながるのです。
ただし、スポーツはどうしても年齢が高くなるとハードルが高くなってしまいます。
若い人に交じって一緒に試合するのは難しい。体力差がありますから、同じチーム内であればどうしても高齢の人は活躍できにくい。隅に追いやられてしまいます。
その点、日本の武道は高齢になっても続けることができます。年寄りだからといって軽んじられることはありません。柔道でも剣道でも、段位が上の人は皆、ある程度年齢が高い人たちです。これは単に実力があるからといって昇段するわけではないという、認定システムに由来しています。
例えば剣道では初段が13歳以上であること、二段は初段受有後、1年以上修行を続けていること、三段は二段受有後、2年以上修行を続けていることというように、修行の必要年数が、段が上がるごとに1年ずつ増えていくのです。
六段から七段へは6年必要で、七段から八段へは10年の修行が必要。初段からの総必要修行年数は最低で31年もかかるのです。
武道は、単に競技の実力だけで段位が上がるわけではありません。ですからオリンピックなどの第一線で活躍する人たちの多くが四段とか五段くらいでしょう。年齢的にはそのあたりがピークなのですが、武道はそれだけを重んじるのではないということです。
長く続けた人、また年齢を重ね精神的にも円熟した人をリスペクトし評価するという基本姿勢が武道にはあるのです。単に力や技術だけでないということです。試合をして勝つほうが偉いとか上だとは考えていないことがポイントです。
人間、同じことをずっと長く続けているとどうしてもマンネリになり、飽きがきてしまいます。その点、日本の武道は長く続けることに重きを置いています。このような精神文化を背景にした武道を続けている人は、マンネリズムによって起こる精神の停滞を、おのずと寄せ付けません。うつになりにくい精神構造を身に付けていると言っていいと思います。
先ほどのアプリの話に当てはめると、スポーツ、とりわけ柔道や剣道などの武道を続けている人は、庭に大きな桜の木が植わっていて、満開の花を咲かせている状態だと考えられます。
あるクイズ番組で知ったのですが、桜の葉や花からはクマリンという物質が出ていて、それが周囲の雑草を駆除する作用があるというのです。大きな桜の木が1本生えていることで、おのずと「うつの雑草」が生えてこない。
武道を若い頃から続けているという人は、心の庭に大きな桜の木が立っているようなもの。自然と雑草が生えてこない精神環境を整えているわけです。